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「予防原則」という温暖化論最後の砦

温暖化しているのか、寒冷化しているのか、学者によって言うことが違い、グラフも両方あって、何がなにやらわかりません。(だから、10年モラトリアムなんですが)

温暖化の議論なって、温暖化論が怪しいとなると、必ず出てくる温暖化論者の最後のよりどころが以下のような論理です。

ここから引用:
枝廣淳子
有限会社イーズ代表取締役、「不都合な真実」翻訳者、温暖化に関する懇談会「環境モデル都市の分科会」委員

「もし、「懐疑論者は正しい。温暖化なんかない。だから何もしなくていい」と思って、本当に温暖化があったら、取り返しのつかないことになります。未来世代に対する責任をどうするんだという話になる。もし懐疑論者が正しかったら、温暖化対策をいっぱいやったのに、でも本当は温暖化がなかったということだったとして、失うものは何でしょう?」
http://toroom.ti-da.net/e2335525.html


ずいぶん乱暴な論理ですが、この論理は、「予防原則」というものがその背後にあると思われます。

ここから引用:
1992年の環境と開発に関する国際連合会議(UNCED)リオデジャネイロ宣言の第15原則には以下のようにまとめられた。

* 原則15 環境を防御するため各国はその能力に応じて予防的取組を広く講じなければならない。重大あるいは取り返しのつかない損害の恐れがあるところでは、十分な科学的確実性がないことを、環境悪化を防ぐ費用対効果の高い対策を引き伸ばす理由にしてはならない。


みんな騙されています。この原則を第一原則としてはなりません。なぜなら、この原則を第一原則とするなら、温暖化対策に百兆円の投資することが正当化されますが、同時に、寒冷化対策にも百兆円以上の投資をしなくてはならなくなります。なぜなら、寒冷化も「十分な科学的確実性がない」のですが、温暖化以上に「重大あるいは取り返しのつかない損害の恐れがある」からです。

実際には、温暖化対策だけが騒がれ、税金がつぎ込まれようとしています。なぜなら、予防原則によって、対策が立てられているわけではないからです。温暖化の脅威を訴える人々は、別の思惑を持って温暖化対策を進めているのです。そして、温暖化の理論が怪しいとなると、「予防原則」を持ち出して、自分の論理を守ろうとしているだけです。


環境問題を真剣に考えるなら、まず第一に、過去の環境問題から学ぶ必要があります。
「予防原則」を適用して過去にどのようなことがあったでしょうか?以下のブログにいろいろリンクがあります。
【地球温暖化論】「情報はおおげさなくらいがちょうどいい」(笑)。【パンデミック論】
http://koibito.iza.ne.jp/blog/entry/1484779

また、環境問題の専門家 中西準子(産業技術総合研究所・安全科学研究部門長、専門は環境工学(環境リスク学))。は、以下のように述べ、「予防原則」を厳しく批判しています。

ここから引用:
■新潮45、1998年12月号掲載原稿(中西準子執筆)

http://homepage3.nifty.com/junko-nakanishi/45draft.html

《かくも幼稚な予防原則を導き出すことはできない。まずは、原因と結果の関係をもう少しはっきりさせることが必須である。それなしに対策ができるわけがない。今のように危ない、危ないという議論だけだと、まもなく国民は麻痺して環境問題を真剣に考えることをやめてしまうのではないだろうか。その反動が怖い。》

東京工業大学の丸山茂徳教授もその著書で予防原則を以下のように批判しています。


「科学者の9割は地球温暖化CO2犯人説はウソだと知っている」前書きより
予防原則に従って、地球温暖化対策を正しいと正当化する科学史家が少なからず存在する。これは間違いである。もし予防原則に従うならば、寒冷化対策の方がはるかに深刻で重要であろう」。
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