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三内丸山遺跡『寒冷化で衰退』 約2度低下 木の実激減


ここから引用:
三内丸山遺跡『寒冷化で衰退』 約2度低下 木の実激減
http://www.tokyo-np.co.jp/article/technology/science/CK2010031602000133.html
チームは、寒冷化は日本全国で起こり、縄文人が減った重要な要因だった可能性が高いと指摘。さらに中国の長江周辺や西アジアのメソポタミアでも、ほぼ同じ時期(四千三百~四千年前)に文明が衰退したとし、アジア中緯度域全体で大きな気候変化があったかもしれないとしている。


縄文時代は、縄文海進と言われる事実があって、海がかなり内陸に食い込んでいました。つまり、海面が高かったわけです。この現象は、日本だけではなく、世界で確認されています。海面が高かった理由は、気温が現在よりも高く、海水が膨張したからと言われています。

この縄文時代の温暖化は、もちろん自然現象です。CO2は関係ありません。



ここから引用:
三内丸山遺跡『寒冷化で衰退』 約2度低下 木の実激減

2010年3月16日

 三内丸山遺跡(青森市)を残した日本最大級の縄文集落が、急激な寒冷化で衰退したとする研究成果を、東大の川幡穂高教授(古気候学)らのチームがまとめた。遺跡にほど近い海底の堆積(たいせき)物を分析して過去の環境を復元。気温が約二度下がってクリなどの植物が激減し、食料の確保が難しくなったと推測している。

 三内丸山遺跡は縄文中期の巨大集落で、放射性炭素年代測定によれば約五千九百~四千二百年前にかけて人々が定住。巨木を用いた高層建物や広い交易範囲など高い文化を持っており、従来の縄文文化の常識を覆したことで知られる。衰退の理由は気候の変化などが挙げられていたが、はっきりとは分かっていなかった。

 チームは、海にすむ植物プランクトンが作る有機化合物から当時の表層水温を求めることができる海底堆積物に着目した。遺跡から約二十キロ離れた陸奥湾から八・五メートルの柱状試料を採取。水温変化や陸から飛んでくる植物の花粉の量などを調べた。

 気温は表層水温から推定し、遺跡周辺の環境を復元した。約五千年前は現在より約二度ほど暖かかったことが判明。二度の気温差は緯度方向では約二百三十キロに相当し、当時は現在の仙台市や山形県酒田市などと同じような気候だったとみられる。

 しかし、その後約四千二百年前に突然寒冷化が始まって気温が約二度低下。その結果、クリなど食用の木の実が激減し、狩猟対象の動物も少なくなり、食料が確保できなくなって集落は衰退したと結論付けた。

 一方、縄文時代の日本の人口は初期は約二万人で、三内丸山遺跡が繁栄していた中期に約二十六万人に達したが、末期には約八万人に減少したとされる。チームは、寒冷化は日本全国で起こり、縄文人が減った重要な要因だった可能性が高いと指摘。さらに中国の長江周辺や西アジアのメソポタミアでも、ほぼ同じ時期(四千三百~四千年前)に文明が衰退したとし、アジア中緯度域全体で大きな気候変化があったかもしれないとしている。

 地球温暖化対策では現在、気温上昇について「産業革命前から二度未満にする」ことが目標となっている。川幡教授は「縄文時代は二度の温度変化で、これだけ大きな変化が起こった。今回の研究成果は地球温暖化問題についても重要な示唆を与える」と話す。


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