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【反科学論6】不寛容な態度

 科学的態度で特徴的なものは、二つの真理を認めないということである。これは、言い換えれば、不寛容な態度である。科学は非科学的なものを許容しない。そして、この不寛容な態度こそ、科学のおもしろさでもあり困ったところでもある。

 地動説が科学の真理であるとなると、天動説は科学と認めることはできない。
進化論が正しいのであれば、天地創造説は間違っている。進化論は公教育で教えるべき人類知であるが、天地創造説は、公教育の場で教えてはならない。なぜなら、それは非科学的な童話の類だからだ。

 この科学の不寛容な態度は、いつでも正しいのだろうか?科学は普遍性も自称しているわけだから、科学的な態度は普遍的に(いつでもどこでも)正しいのだろうか?

 こんなことは、少し考えればわかることですよね。日常生活で経験することは、寛容の精神こそ大切であり、ほとんどの場合、不寛容な態度ははた迷惑だ。不寛容な態度が求められるという場合は、ほとんどない例外的な場合である。

 実際、天動説でも地動説でもいいじゃないか。何か天動説で困ることがあるのでしょうか?進化論でも天地創造説でもいいじゃないか。なぜ、どちらでもいい、または、どちらも正しいというわけにはいかないのか私には理解できない。

 たぶん、科学者にとっては、困ることがあるのだろうが、私にとってはどうでもいいことだ。学校で両方教えたっていいじゃないかと思う。

 さらに調子に乗って付け加えると、自然選択による進化論は、進化のある部分は説明するが、大進化という言われる哺乳類の誕生などの大きな進化は説明できないと思う。自然選択は無目的な進化が自然選択されるというが、いろいろな進化を見ると進化には目的があるとしか思えない。また、進化が機械的な無目的な自然選択とは思えない。自然選択では説明できない多くの「生存に不利な進化」が存在する。
 用不用説は、獲得形質は遺伝しないということで非科学的で間違っているそうだが、私は一番よく分かるしあれでいいじゃないかと思う。 

 つまり、私の言いたいことは、科学的な態度とは不寛容な態度であり、この不寛容な態度とは、普遍的(万能)ではないばかりでなく、多くの場合ははた迷惑な態度であり、特殊な態度だということである。
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