スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

【反科学論7】盲人と科学

 盲人がたとえば家を借りるときに、賃貸契約をする場合、契約書が読めない。そこで、点字に翻訳してあればとても親切ですね。親切という以上に、それは必要なこと、義務でもあろう。

 私たち一般庶民は、科学がよくわからない。であるから、盲人が契約書を交わすのと同じ立場に立っていると思う。
科学の数式とかコンピュータシミュレーション結果を見せられても信じていいのかどうか判断できない。そもそも、「信じるかどうか」と迷うこと自体が科学的じゃない。きちんと証明されているかどうかを確認できない。

 地球温暖化の科学は、IPCCの報告書がまず問題の核心にあるわけですが、これが膨大であり、しかも読んでもよくわからない。我々は、盲人なんだ。

 しかし、我々は判断をしなければなりません。それは、地球温暖化の科学が正しいどうかではなく、納得し、責任を持って行動するためにです。膨大な税金をつぎ込んで温暖化防止対策をするのだから。

 ところが、我々は、科学に対して盲人であり、科学の言葉が理解できないし何が書いてあるかわからない。読めない。地球温暖化の科学がきちんと科学的に証明されているかどうか確認できない。

 私は、地球温暖化の理論は間違っていると思う。納得できない。信用できない。なぜなら、それは、科学的に間違っているとか、科学者が信用できないということもあるが、最大の原因はそれではない。

 最大の原因は、「正当なる疑問の余地(Beyond a reasonable doubt)」なくCO2が犯人であると証明されていない。そして、「正当なる疑問の余地(Beyond a reasonable doubt)」なく証明しようとする姿勢が、肯定論者にないからだ。

 「正当なる疑問の余地(Beyond a reasonable doubt)」というのは法律用語であるが、これが証明されないのであれば、税金の投入は正当化されないと思う。少なくとも、「正当なる疑問の余地(Beyond a reasonable doubt)」なく証明する、説明する姿勢が肯定論者に必要だと思う。肯定論者は、だいたいにおいて、地球温暖化防止の税金で潤う人々だし。

 そして、なにが、「正当なる疑問」でなにが、「不当な疑問」かというのも、一般常識で判断すべきだ。科学者の基準であってはならない。
 たとえば、地球が暖かくなるのは、太陽の活動が一番じゃないの?という素朴な疑問にきちんと答えるべきだ。それを、太陽活動の影響が温暖化に対して小さな影響しかないのは、「#$%^&(難しい数式や専門用語)だから、当たり前だ。」という説明では、庶民は納得できない。

 つまり、地球温暖化問題の議論は、科学の議論とは別の次元で行われるべきだ。別の次元とは、地球温暖化の議論は、肯定論と否定論が双方の科学的な根拠を持ち寄って、科学的に科学のルールでなされるべきものではなく、CO2を犯人と断定した検察と、CO2の無実を主張する弁護士のような裁判のルールで行われるべきなのだ。検察と弁護士は、対等ではないし、弁護側は、正当なる疑問を提出して、検察の弁論を崩せばいい。検察が正当なる疑問の余地を残すならば、CO2は無罪なのだ。無実ではないかもしれないが。

CO2の無実を証明する必要はない。
関連記事


Comment

(編集・削除用)
管理者にだけ表示を許可

Trackback

URL
http://chikyuondanka1.blog21.fc2.com/tb.php/468-fd7409b6
この記事にトラックバック(FC2Blog User)
Copyright © chikyuondanka
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。